東京藝術大学体育研究室

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2015.3.23
ことば(5) 「ないものねだりはしないで、有り合わせのものを見繕って自然体でのぞむ」

 「まだ受験生やってるの!?」
とは言わぬものの、はるか昔に受験生生活を卒業した娘たちの、親父への「哀れみの視線」が気にかかる。そのうちに審査の合否の連絡さえもしない。5月と11月の「年中行事」はいつまで続くのか?我が家から八段審査の話題が消えて久しい。
 一次審査でさえも不合格が当たり前になってくると、あらゆる問題への自信を失っていく。疑心暗鬼。妬みといじけ。さらに急激に衰える体力。稽古での課題さえあやふやになっていく。いわゆる負のスパイラルである。
 昨年11月(東京)の審査で久しぶりに一次に合格した。確たる自信はなかったが、二次審査の一人目と立ち合った時、不思議な感覚を味わった。立ち上がって20秒くらい経過した頃だろうか。合気を心がけじっくりと気持ちの充実を図っているうちに、相手の動きが読めたのである。初太刀で不用意に打ち出すことなく、余裕をもって溜めながら、出頭の面が打てた。「なるほど、これか!」と思ったわけではないが、何かが見えた。だが、もう一本が打てなかった。
二人目。いい気分の持続はできていたものの、そのうちに、「早く一本取らねば!」という雑な自分がでてきた。勝手に気持ちが先走り、技が中途半端になる。いつものパターンである。またしてもあえなく不合格。
 今年の5月(京都)も一次合格。満を持して二次に臨んだつもりが、相手の意表をつく「かつぎ小手」を受けた瞬間、身体が固まり「金縛り状態」になった。結局相手を読むことにこだわりすぎ、「先」をかけるきっかけもリズムも作ることができなかったのである。何も技らしい技を出せずに、惨めな姿を晒してしまった。観衆の嘲笑を肌身で感じた。もう一度、やり直そう!とは思うものの、どこから手をつけていいのか。基本に戻るとはいうものの、60代の自分にとっての基本とは何か。稽古で見つけようとする課題は、どこか枝葉末節に思われた。
 そんな時たまたま、日本美術解剖学会で、「剣道における(手vs足)についてーハカマの中に秘密があるー」というテーマで発表する機会を得た。要旨は、「一足一刀の間合いから一歩踏み込むまでの足の動きこそが打突の正否を決定づける。(上虚下実)の構えから、足裏→膝→腰腹→手までの身体感覚を密接にしながら踏み込みへとつなげていくのである。手を動かす前に足を動かせるか。ここに身体運動としての剣道の出発点がある。全ての動きは手足を隠し、見せないのが剣道ともいえる。だからこそ稽古着、袴に剣道具をつける。逆に言えば、「見えない部分をどう見るか」が技術向上の大きな課題になるのである」
 よし、この問題を一からやってみよう!自分で言ったからには、自分で実践すること。一度、稽古を離れて自分の身体の内容と繋がりを捉え直す必要がある。「カラダで覚える、学ぶ」大事さは言われるが、果たして本当にそうなっているのか。自分自身の「身体観」を作り直さなければならない。この作業を通じて徐々に稽古の中で、「観て、感じて、動く」ことをシンプルに意識するようにしていった。
 一方で今夏、「Sさんを囲む会」に出席した。Sさんは私の尊敬する先輩であり、誰もが、「八段に一番近い剣士」と認める実力者である。そのSさんが、この5月から1年間の予定で福島県郡山市に単身移り住み除染活動に従事しておられる。今では100人くらいのボランティアを束ねて、地道な作業に全力を傾けている。
「オレはこのまま悠々と稽古をして、八段審査を受けていればいいのか」「いま、自分にできる、少しでも人の役に立てることは何か」
Sさんは、真剣に苦悩した末に当面の八段審査受審を諦めて、除染活動へと踏み出したのだ。一軒一軒での除染活動の実態や住民の方々との対話の内容。一言一言に衝撃を受けるとともに、その人生観、剣道観に改めて敬服した。
 この経験をもとに、自分自身の八段審査とは何かを問い直してみた。審査に合格する意味は、まさか双六の「上がり!」ではない。八段をとって、何をするのか。
 「人生には正解も誤りもないから後悔しない」「身体ではなく心こそが老いるが、それは感謝を忘れたためだ」『希望の格闘技』中井裕樹著
 少しずつ日常生活や稽古に迷いがなくなっていった。ないものねだりはしないで、有り合わせのものを見繕って自然体でのぞむ。与えられた職場環境に感謝し、精一杯仕事に向かおうと思えるようになった。「指導と修行の一体化」が自分のテーマであると気付くことも出来た。稽古もほとんどが初心者の学生や留学生が中心である。彼らの剣道への思いを受け止め、上達の手助けをしながら、自らも彼らを納得させる「一本」を打つ。そこに活路を見いだしたのである。
そして、私は心密かに、「審査は今回が最後」と誓った。
 二次審査を前にして、こんな詩を口ずさみながら心を落ち着けた。
      

      咲くも 無心
      散るも 無心
      花は 嘆かず
      今を 生きる   (『念ずれば花ひらく』坂村真民著)

 合格の一報を聞いた妻は開口一番、
 「えっ、今日が審査だったの!?」

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ことば(5) 「ないものねだりはしないで、有り合わせのものを見繕って自然体でのぞむ」

 「まだ受験生やってるの!?」
とは言わぬものの、はるか昔に受験生生活を卒業した娘たちの、親父への「哀れみの視線」が気にかかる。そのうちに審査の合否の連絡さえもしない。5月と11月の「年中行事」はいつまで続くのか?我が家から八段審査の話題が消えて久しい。
 一次審査でさえも不合格が当たり前になってくると、あらゆる問題への自信を失っていく。疑心暗鬼。妬みといじけ。さらに急激に衰える体力。稽古での課題さえあやふやになっていく。いわゆる負のスパイラルである。
 昨年11月(東京)の審査で久しぶりに一次に合格した。確たる自信はなかったが、二次審査の一人目と立ち合った時、不思議な感覚を味わった。立ち上がって20秒くらい経過した頃だろうか。合気を心がけじっくりと気持ちの充実を図っているうちに、相手の動きが読めたのである。初太刀で不用意に打ち出すことなく、余裕をもって溜めながら、出頭の面が打てた。「なるほど、これか!」と思ったわけではないが、何かが見えた。だが、もう一本が打てなかった。
二人目。いい気分の持続はできていたものの、そのうちに、「早く一本取らねば!」という雑な自分がでてきた。勝手に気持ちが先走り、技が中途半端になる。いつものパターンである。またしてもあえなく不合格。
 今年の5月(京都)も一次合格。満を持して二次に臨んだつもりが、相手の意表をつく「かつぎ小手」を受けた瞬間、身体が固まり「金縛り状態」になった。結局相手を読むことにこだわりすぎ、「先」をかけるきっかけもリズムも作ることができなかったのである。何も技らしい技を出せずに、惨めな姿を晒してしまった。観衆の嘲笑を肌身で感じた。もう一度、やり直そう!とは思うものの、どこから手をつけていいのか。基本に戻るとはいうものの、60代の自分にとっての基本とは何か。稽古で見つけようとする課題は、どこか枝葉末節に思われた。
 そんな時たまたま、日本美術解剖学会で、「剣道における(手vs足)についてーハカマの中に秘密があるー」というテーマで発表する機会を得た。要旨は、「一足一刀の間合いから一歩踏み込むまでの足の動きこそが打突の正否を決定づける。(上虚下実)の構えから、足裏→膝→腰腹→手までの身体感覚を密接にしながら踏み込みへとつなげていくのである。手を動かす前に足を動かせるか。ここに身体運動としての剣道の出発点がある。全ての動きは手足を隠し、見せないのが剣道ともいえる。だからこそ稽古着、袴に剣道具をつける。逆に言えば、「見えない部分をどう見るか」が技術向上の大きな課題になるのである」
 よし、この問題を一からやってみよう!自分で言ったからには、自分で実践すること。一度、稽古を離れて自分の身体の内容と繋がりを捉え直す必要がある。「カラダで覚える、学ぶ」大事さは言われるが、果たして本当にそうなっているのか。自分自身の「身体観」を作り直さなければならない。この作業を通じて徐々に稽古の中で、「観て、感じて、動く」ことをシンプルに意識するようにしていった。
 一方で今夏、「Sさんを囲む会」に出席した。Sさんは私の尊敬する先輩であり、誰もが、「八段に一番近い剣士」と認める実力者である。そのSさんが、この5月から1年間の予定で福島県郡山市に単身移り住み除染活動に従事しておられる。今では100人くらいのボランティアを束ねて、地道な作業に全力を傾けている。
「オレはこのまま悠々と稽古をして、八段審査を受けていればいいのか」「いま、自分にできる、少しでも人の役に立てることは何か」
Sさんは、真剣に苦悩した末に当面の八段審査受審を諦めて、除染活動へと踏み出したのだ。一軒一軒での除染活動の実態や住民の方々との対話の内容。一言一言に衝撃を受けるとともに、その人生観、剣道観に改めて敬服した。
 この経験をもとに、自分自身の八段審査とは何かを問い直してみた。審査に合格する意味は、まさか双六の「上がり!」ではない。八段をとって、何をするのか。
 「人生には正解も誤りもないから後悔しない」「身体ではなく心こそが老いるが、それは感謝を忘れたためだ」『希望の格闘技』中井裕樹著
 少しずつ日常生活や稽古に迷いがなくなっていった。ないものねだりはしないで、有り合わせのものを見繕って自然体でのぞむ。与えられた職場環境に感謝し、精一杯仕事に向かおうと思えるようになった。「指導と修行の一体化」が自分のテーマであると気付くことも出来た。稽古もほとんどが初心者の学生や留学生が中心である。彼らの剣道への思いを受け止め、上達の手助けをしながら、自らも彼らを納得させる「一本」を打つ。そこに活路を見いだしたのである。
そして、私は心密かに、「審査は今回が最後」と誓った。
 二次審査を前にして、こんな詩を口ずさみながら心を落ち着けた。
      

      咲くも 無心
      散るも 無心
      花は 嘆かず
      今を 生きる   (『念ずれば花ひらく』坂村真民著)

 合格の一報を聞いた妻は開口一番、
 「えっ、今日が審査だったの!?」